2012年4月30日月曜日

ゴスペルソングをちょっぴり深く知るためのブログ!



<Hosanna / Kirk Franklin>

今回はカーク・フランクリンさんの
Hosannaという曲をみてみたいと思います。

Youtube

「天使達があなたの思いやりに頭を垂れ
暗闇はあなたのために光をうけいれる
あなたの支払ってくださった代償が
私たちに新しい命を与えてくださるのです

ホサナ
永遠にあなたを賛美します

あなたこそ私の魂が求めるよろこびだから
あなたこそ私の罪の為にささげられた子羊だから 
私のすべてをささげるかた
王の中の王 
すべての主権者

ホサナ
永遠にあなたを賛美します

あなたには忍耐、寛容、恩恵、慈愛、名誉、栄光、があるから
あなたは尊い方であるから
あなたなしでは生きていけない!
あなたなしでは息も出来ない!!
あなたなしでは歌うことも出来ない!!!
ホサナ!
ホサナ!

この世にあなたほど大きな愛はなく
誰一人あなたと比べられる者もいない
だからあなたの行くところはどこへでもついていきます
ホサナ
永遠にあなたを賛美します


私の豆を食べた怪物

いつの日か全ての者があなたを神と仰ぐでしょう
泥で作られた家はすぐに流れ消えてしまうもの
どのような試練を与えられようと
ホサナ
永遠にあなたを賛美します

ホサナ 永遠に 
あなたを愛します
あなたが必要です
共にいなければいけないのです」

2012年4月28日土曜日

今後、私との結婚の可能性がある芸能人女性の方へ(不特定)


今後、私との結婚の可能性がある芸能人女性の方へ(不特定)  「どんなふうに出会ってたら恋人と呼ばれたの? いつだって君は誰かの恋人」と言う歌が聞こえて来ました。私は10年以上前から言ってますが、あまり公の場所でこういうことを言わなければいいのに、と思います。メロディーは抜群なのに(^^;。

・「どんなふうに出会ってたら恋人と呼ばれたの?」:私にメールをして会う日時と場所を指定して出会えばいいだけです。互いに気が合えば「恋人」になります。ルックスは中の上であればOK。それ以外の要素が大切。e-mailを介して男性とさえ会ってます。女性からのアクションが「何一つ無い」=「シカト」がコンタクトできない原因です。まあ、歌の歌詞というのは、物理科学的客観的事実の表現ではなく、むしろ芸術的感性の言葉ですがね。(200307142353)

 私は結婚という言葉をSEXという意味で使ってます(SEX=実質的結婚)。最近、「結婚するのはまだ先でいい」みたいな言い方があることに注意が向きました。でも、一度でもSEXをしたことがあるならば、その人は(実質的結婚における)既婚者ですね。この場合は「実質的な結婚」という意味で言ってます。でも、上記下線部で言ってるのは、形式としての結婚をするという意味ですね。故に、下線部の発言が出てくるのは当然でもありますね。その人は実質的な既婚者であり、(実質的に)結婚しているから、(形式的に)結婚しようとも思わないというのは当然だと思います。

 ちょっと気になるのですが、人々は、なぜ、「結婚」という言葉を社会的・形式的な意味で「だけ」使おうと意図するのでしょうか? その偏りぶりが気になるんですけど。それでは、まるで「結婚=形式=意味がない」という方程式を「守ってる」態度ですよね。そういう「概念の偏り」を維持する「明らかな意図」を働かせている人々は、何なのだろうと思います。もっと「実質的な結婚」という概念、すなわち、「結婚=SEX契約(相手以外の異性とはSEXしないという契約をすること)」という概念があってしかるべきだと思います。一度でも誰かとSEXすれば、その人は「実質的には」既婚者ですよね。(200111272303)

 今まで純潔を守って来た人を希望してたのですが、これでは、なかなか結婚が実現しないので、自� �を現実に合わせて少し譲歩する可能性があります。(200010040605)

2012年4月27日金曜日

ミネアポリス 痛みの研究日記 バレエ、音楽、芸術




パリオペラ座のバレエ『シルヴィア』DVDを入手した。
ざっと見た。モダンだがシンプルなセット、色調がダンサーの美をempahsisする感じ。

オーレリィ-=デユポントのオーロラはかなりよかったが本作でも素晴しい。
しかもマニエル=レグリス氏もスゴすぎる。
これまたしばらく楽しめる。

さて、何度も言うが来週、再来週末はプリマYUKIらの『白鳥の湖』公演。
もちろんいろいろ予習している。白鳥といえばなんというてもオデット、オディールに加え、
美しい白鳥達の群舞が看板であるが私的には白鳥の登場しないAct1もかなり好きだ。
ドラマ的には主にドンチャン騒ぎ系+ジークフリートのお披露目場面である。

先日、若干ふれた。ピンクネエちゃんら(動画5:10~)の踊りの後、ジークフリートの友人3人による
踊りの場面がある(16分頃から)。これまた楽しい。中でも向かって右側のバレリーナ、
イリーナゴルブ嬢。この� ��、どえらい美女である。マリインスキーのバレリーナとしては
やや濃い雰囲気だがそれはそれはgreat beautyだ、とどこかの記事に書かれてあった。

22分30秒頃からは見応え十分。まずはイリーナが颯爽とステージに。
イリーナを見てるだけでも萌え死に寸前に追い込まれるのだが、、。

23分30秒頃から盛り上がりは最高潮に。
オケがまたノリノリ。その音を言葉で表現するなら、
『百花撩乱』。これで形容したいと思う。

春らしく百花繚乱な"22分30秒あたり~"。
洗練された美しさ、華やかをどうぞ。

  1. バレエ、音楽、芸術
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春過ぎ、ABTで観劇予定のバレエである。同一作品を3日連続で見ることは決まっている。
うち一回はダイアナ主演の演目を観る事は決定済み。
問題は"どの演目にするか?"迷いに迷っている。
その演目とはラバヤデールかロミオとジュリエット。どっちでもよい。
タマラロホ主演withロイヤルバレエ団のものを両方ともDVDで観たが甲乙つけがたい。

となると主演が誰か?も決めての一つだが
前者はアリーナコジョカル、ダイアナビシュネヴァ、ジリアンマーフィー
後者はダイアナビシュネヴァ、ジリアンマーフィー、ジュリーケント。である。
主演だけならコジョカルvsケントの違いだけ。
どっちも観たいがそうはいかん。もちろんチケットが入手できればの話だが。。。

現在は、月末の『白鳥の湖』� �劇に向けて予習の余念がない。
白鳥、、はどの場面もとても素晴らしい。
オデット、オディールが登場するAct2~4にかけては言うまでもない。が、
他にも私の非常に好きな場面がある。

Act1、しかもOpening場面。ゴサゴサ動画を物色してた。すると
私の持っているマリインスキ-のDVD全編が見つかった。
(ゲルギエフ指揮、白鳥/黒鳥はウリアナ=ロパトキナ。)

2012年4月25日水曜日

超映画批評『誰かが私にキスをした』35点(100点満点中)


『誰かが私にキスをした』は、日本の映画業界人なら誰もがこりゃ無理筋だろうと即却下しかねないリスキーな企画である。なぜこんな、始まる前からコケる事間違いなしの危険な映画が作られてしまったのか、その理由については後で述べる。

都内のインターナショナルスクールに通う女子高生ナオミ(堀北真希)。あるとき階段を転げ落ちて記憶をなくした彼女は、同級生全員をまったく覚えていないという事態に直面する。なかでも一番困ったのが、3人の魅力的な男の子の存在。どうやら彼氏だったらしいエース(アントン・イェルチン)、男だけど親友で最大の理解者ミライ(手越祐也)、そして事故の際付き添ってくれたどこか陰のあるユウジ(松山ケンイチ)。ナオミの心は3人の間で揺れ動く。

2012年4月24日火曜日

謔ェ蟇偵→鬆ュ逞帙「菫


謔ェ蟇偵′縺吶k縺ィ縲∝、ァ謚オ縺吶$縺ォ鬆ュ逞帙′蟋九∪繧九b縺ョ縺ァ縺吶ゅb縺。繧阪s縺薙l縺ッ逞豌励エ蜷医〒縺吶′縲∫イセ逾樒噪縺ェ迥カ豕√〒繧よが蟇偵′縺吶k繧医≧縺ェ迥カ豕√〒縺ッ繧縺ッ繧企ュ逞帙b縺吶k縺ァ縺励g縺縲ゅ▽縺セ繧翫∵が蟇偵→鬆ュ逞帙サ繝縺ィ縺縺」縺ヲ繧ゅ>縺繧上¢縺ァ縺吶

 

2012年4月23日月曜日

ブログテーマ[イルボン 歌詞]|ラップ好きの、ニコ動好きの、ニコラップ関連ブログ


[verse1/イルボン]
大胆不敵 再三無礼な振る舞い(這い蹲り償い)
火蓋は切られたこっから先火の用心(2人は狂人同士)
早まる動悸 高まる怒気 頭を冷やして思考を投棄
一か八かに賭ける汗馬刀槍 目を瞑って歩く暗夜行路

謳歌しよう今可笑しい世を根から造り咲かす桜花抄
人は口々不満を吐く まぁ黙って誇れよ日の丸印
さぁ行くぞまだまだ 奴の荒業 越えてなんぼの祭騒ぎ
野生の獣は道草食わねぇ 滾る感情は勝つ気ばかり

[hook]
地に根を張って時は流れ 蕾のまま動けず笑いもの
それでも我武者羅にただ真っ直ぐ自分のために前向き突っ切れ
地に根を張って時は流れ 蕾のまま動けず笑いもの
咲く咲く咲かそう千本桜 満開を夢見て

2012年4月21日土曜日

苦痛と快楽の境界線 BlueBloomBlog/ウェブリブログ


東北関東大震災で、
いよいよ次は東海地震などという噂があって、
耐震工事とか、津波保険とか、
いっぱい出てくるであろうが、
いまさらいうことでもなく、
人生には限りがある。

耐震工事しても、津波保険に加入しても、
僕もいつかは絶対に死ぬ。

もちろん、
どのような結末で自分が死ぬのかは解らない。

しかしながら、
問題は、どのように生き延びるのかということではなく、
どのように生きるか?ということではないか。

そんなことを考えながら本を読んでいると

「なぜたっぷりと食べた客のように、
人生から立ち去らないのか」

という言葉と出会った。

後で調べたら、エジプトの哲学者ルクレティウスの言葉らしい。

そうだ。
こんな死に方は最高に違いない。

つまり、
人生の食通になろう
ってことだ。

食通というのは、
美味しいものだけを食べていては為れない。
不味いものも、珍味も食べて、
それを味わってこそ食通の資格がある。

いわば、
人生をレストランと喩えて、
色んな種類の料理を食べてやろう。