今週は少なくとも6本の新作ヒンディー語映画が公開された。その内の2本は既に見たが、あと1本気になる作品があった。2009年インド映画賞の社会映画部門最優秀作品賞を受賞した「Antardwand」である。低予算映画ではあるが、アヌラーグ・カシヤプ、イムティヤーズ・アリー、ラージクマール・ヒーラーニーら、ボリウッドを代表する映画監督に推薦され、一般公開に漕ぎ着けた作品である。テーマはビハール州のパカルワー・シャーディー(誘拐結婚)。実際の事件をもとに作られた映画である。上映が終わらない内に見ておこうと思い、本日映画館で鑑賞した。
題名:Antardwand
読み:アンタルドワンド
意味:葛藤
邦題:誘拐結婚監督:スシール・ラージパール
制作:スシール・ラー� ��パール
音楽:バーピー・トゥトゥル
歌詞:アミターブ・ヴァルマー
出演:ヴィナイ・パータク、スワーティー・セーン(新人)、ラージ・スィン・チャウドリー、アキレーンドラ・ミシュラーなど
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。
ラージ・スィン・チャウドリー
この映画のテーマとなっているパカルワー・シャーディー=誘拐結婚と聞くと、日本で一般的(?)な略奪結婚や略奪婚をイメージするかもしれない。日本の略奪結婚を定義するならば、他に恋人や許嫁がいる人を奪って結婚してしまうことだと一言で言ってしまって差し支えないだろう。だが、ビハール州で横行するパクルワー・シャーディーはそんな恋愛ゲームの延長線上のような子供だましではない。 パカルワー・シャーディーとは、親が他の家から花婿を誘拐して来て、自分の娘と無理矢理結婚させてしまう形態の結婚のことを言う。花嫁を略奪しての結婚なら、まだ何となく騎馬民族的習慣っぽいな、として頭では理解できるのだが、花婿を誘拐して娘を結婚させるというのはどういう目的の行為であろうか?それは� �はり金や名誉目当てのものであることがほとんどであると言う。裕福で権力を持った独身男性を娘の婿にして自身の力を強めたり、縁談が破談となったことで面目を潰されるのを避けたりするのが目的だ。そのため、ターゲットは、ビハール州で絶対的ステータスを誇るIAS(インド行政官僚)や政府エンジニアであることが多く、実行者も地元の有力者であることが多い。パカルワー・シャーディーの行使に及ぶ過程には当然のことながら持参金問題も絡んで来る。縁談が破談となる大きな理由のひとつが持参金の額の不一致だからである。
パカルワー・シャーディーでは、結婚適齢期の娘を持つ親が、ターゲットとする独身男性を誘拐し、無理矢理娘と結婚させて同室に閉じ込め夜を過ごさせ、結婚を既成事実化させてしまう。� �般認識では、そんな無理強いして結婚が成立するはずがないと考えてしまうのだが、なんと成功率は80%以上で、そのせいでパカルワー・シャーディーは半ば社会的に認知された結婚形態となってしまっている。また、一度結婚が成立してしまうと、男性にとって離婚することは難しくなる。インドでは戸籍制度がないために、結婚式の写真が結婚の証拠として大きな力を持つ。パカルワー・シャーディーでは当然結婚式の写真が撮られ、結婚の証とされてしまう。また、結婚無効や離婚を申し立てようとも、インドの司法プロセスは果てしなく時間が掛かるし、妻には夫の財産の数割を主張する権利が発生するため、もはや無傷ではいられない。蟻地獄のようなものである。また、パカルワー・シャーディーをさせられた花嫁側も大き な犠牲者であり、その後幸せな人生が送れることは少ない。それでも、父親の方はパカルワー・シャーディーによって娘のためにいいことをしたと思い込むため、問題はさらに深刻となる。
「Antardwand」は、監督の友人の身に実際に起こったことをベースに作られた映画であり、非常にリアルであった。言語もビハール州の方言をフル活用し、自然な方言をしゃべれる俳優をキャスティングしてある。「Peepli [Live]」(2010年)ほどのウィットはなく、全体的に悲壮感が溢れていたが、「Peepli [Live]」に続き、農村を舞台にした真面目な作品だと言える。ただ、娯楽性には乏しく、背筋を伸ばして見ることを要求される。最後もいくつか問題を残したままの終わり方をしており、インドの未来に不安をかき立てられる。
主人公ラージ・スィン・チャウドリーは、「Gulaal」(2009年)などに出演していた俳優である。元々は脚本家志望のようで、アヌラーグ・カシヤプの指導の下、「Gulaal」や「No Smoking」(2007年)の下地となる脚本を書いたことでも知られている。デリーでよく見るタイプの顔だが、演技力はしっかりしている。ジャーナキーを演じたスワーティー・セーンは、プネーの映画テレビ学院の卒業生で、「Antardwand」がデビュー作となるが、本作でインド映画賞の主演女優賞を受賞した他、アヌラーグ・カシヤプに絶賛された。他に、ヴィナイ・パータクやアキレーンドラ・ミシュラーなどの演技派俳優の名演が光った。
真面目な社会派映画なので、基本的にダンスシーンなどはなかったが、結婚式のシーンでムジュラー(踊り子による踊り)があった他、途中いくつか挿入歌が入っていた。悲壮感を醸し出す暗い音楽が多かった。
上述の通り言語はビハール州の方言ボージプリー語となっているが、コテコ� �に訛ってはおらず、標準ヒンディー語の知識でほとんどの台詞の意味は推測可能である。よって、ボージプリー語映画の範疇には入らないだろう。
「Antardwand」は、2010年のボリウッドのひとつのキーワードとなりそうな「農村」を体現する映画のひとつである。大きな反響はないが、インド映画賞を受賞したことからも分かる通り、社会派映画愛好家を中心に密かに高い評価を得ている。そもそも、このような非商業ベースの映画が映画館で一般公開されるようになったことは歓迎すべきだ。
今年の話題作の1本、カラン・ジャウハル制作「We Are Family」が本日より公開となった。元々9月10日公開予定だったのだが、サルマーン・カーン主演の話題作「Dabangg」も同日公開だったため、衝突を避けてジャナマーシュトミー祭(クリシュナ生誕祭)の9月2日に前倒しで公開となった経緯がある。 ストーリーはオリジナルではなく、ハリウッド映画「Stepmom」(1998年)のリメイクである。インド映画にはハリウッド映画の無断コピーが多いことは周知の事実であるが、「We Are Family」ではちゃんとタイトルクレジットで原作の明記があり、著作権が尊重されていた。非常に重要な一歩だと言える。主演はカージョールとカリーナー・カプール。共にカラン・ジャウハル・キャンプに属するA級ランクの女優である。この2人の共演は「Kabhi Khushi Kabhie Gham」(2001年)以来となる。最近出番の増えたアルジュン・ラームパールも主演だが、本作は女性中心ドラマであり、重要度は若干下がる。監督のスィッダールトPマロートラーはカラン・ジャウハルの助監督上がりで、今回が監督デビュー作となる。
題名:We Are Family
読み:ウィー・アー・ファミリー
意味:私たちは家族だ
邦題:家族写真監督:スィッダールトPマロートラー(新人)
制作:ヒールー・ヤシュ・ジャウハル、カラン・ジャウハル
原作:「Stepmom」(1998年)
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:イルシャード・カーミル、アンヴィター・ダット・グプタン
振付:ボスコ・シーザー
衣装:マニーシュ・マロートラー、シラーズ・スィッディーキー
出演:カージョール、カリーナー・カプール、アルジュン・ラームパール、ディーヤー・ソーネーチャー(子役)、ノーミーナート・ギンズバーグ(子役)、アーンチャル・ムンジャル(子役)
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞、ほぼ満席。
左から、カリーナー・カプール、アルジュン・ラームパール、
アーンチャル・ムンジャル、ディーヤー・ソーネーチャー、
カージョール、ノーミーナート・ギンズバーグ
原作となっている「Stepmom」は未見であるため、どの程度がオリジナルで、どの程度がインド映画アレンジとなっているか判別できないのだが、とてもインド映画らしい、家族愛をテーマにした感動作だと感じた。同じカラン・ジャウハル制作の名作「Kal Ho Naa Ho」(2003年)以来の感動と言っていい。鑑賞している間、これほど多くの涙が溢れ出てきたのは久し振りであった。 カラン・ジャウハル監督の「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)では不倫、離婚から再婚に至るまでが描かれていたが、「We Are Family」では離婚から数年経った状態からストーリーが始まる。長女が13歳、末っ子が6歳という設定であるため、普通に考えたら、少なくとも主人公アマンとマーヤーの結婚生活は7年以上続き、離婚後最大6年ほど経ったことになる。離婚の原因は「お互い愛し合っていたのに喧嘩ばかりしていた」と語られていただけで、詳しく説明はされていなかったが、それはこの映画では重要ではない。離婚はしたものの、元夫婦の仲は良好で、普段母親の元で暮らす子供たちも、父親が度々会いに来てくれるため、父親の不足を感じることはなかった。
しかし、アマンが離婚後に出会い、3年間ほど付き合って来た恋人シュレーヤーとの結婚を決めたことと、マーヤーの子宮頸がんが発覚したことで、大きく物語が動き出す。マーヤー とシュレーヤーの関係は、1人の男性を巡るいわゆる三角関係となるが、元妻と現恋人という立場であるために、恋敵的な敵対関係はあからさまには生まれない。むしろ子供たちの方が、父親を奪われることを恐れ、シュレーヤーに敵意をむき出しにしていた。もしマーヤーが子宮頸がんに罹っていなかったら普通の三角関係にもなっていたかもしれないが、余命あとわずかであることが分かったために、マーヤーとシュレーヤーの関係は、子供を中心に、実母と継母の関係となる。そしてマーヤーはシュレーヤーに子供を託し、死んで行く。もちろんマーヤーとシュレーヤーの仲は最初から良好だった訳ではない。最初の顔合わせでは事が悪い方向に悪い方向に進み、最悪のものとなってしまった。シュレーヤーが継母になることを承諾� ��た後も、カットがあったのか多少唐突ではあったが、衝突があった。その原因は、意外にも早く子供たちの心を掴んだシュレーヤーに対してマーヤーが覚えた嫉妬であった。それでいて、同じ男性を共有し、子供を託し託される間柄となった2人の女性の間の、友情よりも強い絆がよく描写されていた。
だが、「We Are Family」の隠れたテーマとなっていたのは、現代の女性が直面する、働く女性と結婚・子育てという問題である。劇中では簡単に触れられていただけだったが、マーヤーは元々出版社に勤めていて、結婚後は3人の子供を育てる主婦をしていた。一方、シュレーヤーはファッションデザイナーの卵で、自称キャリアウーマンであった。しかも、幼少時に母親を亡くしており、母親がどういうものかをあまり理解していなかった。シュレーヤーはマーヤーに継母になるように頼まれたとき、「キャリアウーマンの私にはいきなり3人の子供を育てることは無理だ」と言う。だが、それに対しマーヤーは、「どの女性にも母親は隠されているわ」と励ます。そしてエンディングでシュレーヤーは、アーリヤーを嫁に出す際に死んだマーヤーを思い� ��して、「私も母親になれたわ」とつぶやく。バリバリ働いていた女性でも、結婚し、子供を産むことで、自然に母親になれるということを伝えていたと感じた。ただ、シュレーヤーがアマンと結婚後もファッションデザイナーを続けたのかどうかは不明だし、アマンとの間に子供が出来なかったかという点にも言及がなかった。その辺りは、物語の焦点ではなかったものの、話を単純にし過ぎていたような気もした。
やんちゃな子供たちが新しい親を受け容れるというプロットは、「Thoda Pyaar Thoda Magic」(2008年)とも似通っていたし、不治の病に罹った妻が、自分の死後のことを考えて、夫の新しい伴侶、そして子供の新しい母親を予め決めるという点では、カラン・ジャウハル監督自身の出世作「Kuch Kuch Hota Hai」(1998年)にも通じるものがある。死に行く人が別の同性に自分の愛する人を託すという流れは、やはりカラン・ジャウハル制作「Kal Ho Naa Ho」そのままで、マーヤーが最期にシュレーヤーに言う「子供たちの昨日は私のもの、でも子供たちの明日はあなたのもの」という台詞も、「Kal Ho Naa Ho」でアマン(シャールク・カーン)が最期にローヒト(サイフ・アリー・カーン)に言う名台詞「今生ではナイナー(プリーティ・ズィンター)はお前のものだが、来世ではオレのものだからな」を想起させる。だが、「We Are Family」は、2人の女性を中心に、単なる恋愛ではなく、愛のかなり深い意味にまで迫った傑作だと言える。
ちなみに、オーストラリアを舞台にしたこの映画には、インド人がオーストラリアで受けている人種差別、いわゆる「カレー・バッシング」に関するシーンも含まれていたらしい。だが、全体の雰囲気にそぐわないということでカットされた。確かにそういうシーンがあったとしたら蛇足に感じたと思う。
「We Are Family」の成功の一因はキャスティングの妙にある。適材適所という言葉がふさわしい。既に1児の母であり、現在もう1人の子供を妊娠中のカージョールは、すっかり家庭的女性の役が似合うようになり、演技も素晴らしかった。まだ未婚のカリーナー・カプールは、一方で高ビーで子供嫌いそうなイメージがあるために、序盤の子供たちとそりが合わないシーンはピッタリであったし、他方でやっぱり子供好きっぽい無邪気さもあって、中盤から終盤にかけての、子供たちとじゃれ合うシーンも似合っていた。ボリウッド切ってのハンサムボーイ、アルジュン・ラームパールもすっかり大物になった。前妻との間に3児がありながら再婚できてしまうアマンを演じるには、アルジュンほどの圧倒的なルックスがないと説得力がない。この� ��人のケミストリーも抜群で、特にカージョールとカリーナーの共演、そしてお互いに一歩も譲らない競演は大きな見所であった。
子役の3人もとても良かった。やはり最年少のアンジャリを演じたディーヤー・ソーネーチャーが一番キュートで活躍の場も多かったが、アンクシュを演じたノーミーナート・ギンズバーグ、アーリヤーを演じたアーンチャル・ムンジャルも並以上の演技をしていた。
音楽はシャンカル・エヘサーン・ロイ。事前にサントラCDを買って音楽をざっと聴いたところでは、奇をてらった曲が多すぎて、これをどう映画中で使うのかと疑問に思ったが、実際に映画を見たところでは、全てうまくストーリーにはまっていた。特筆すべきは「Dil Khol Ke Let's Rock」。エスビス・プレスリーの有名な「監獄ロック(Jailhouse Rock)」のヒンディー語カバーとなっている。アルジュン・ラームパール、カージョール、カリーナー・カプールの3人が踊る、映画中で唯一豪華な群舞となっている。そういえば「Kal Ho Naa Ho」ではロイ・オービンソンの「オー・プリティ・ウーマン(Oh, Pretty Woman)」のヒンディー語カバーがあった。カラン・ジャウハルの趣味であろうか?
言語は典型的な現代ヒンディー語娯楽映画のもので、英語と標準ヒンディー語のミックス。英語の割合は多いので、ヒンディー語が出来なくてもある程度理解できるだろうし、ヒンディー語が少しできるだけでも結構聞き取れるだろう。
「We Are Family」は、ハリウッド映画「Stepmom」の公式リメイクではあるものの、インド映画らしい家族愛のメッセージが込められた感動作である。流れる涙の量では今のところ今年最大保証。必見の映画である。
◆ | 9月4日(土) The Film: Emotional Atyachar | ◆ |
インドが世界に誇る音楽家ARレヘマーンが作曲した、「スラムドッグ$ミリオネア」(2008年)の挿入歌「Jai Ho」が世界を席巻しているとき、インドでは新進気鋭の音楽家アミト・トリヴェーディー作曲の、ヒンディー語映画「Dev. D」(2009年)の挿入歌「Emosanal Attyachar」が大ヒットしていた。インドの結婚式にお決まりのブラスバンド・サウンドをうまくモダンなダンスミュージックに仕立て上げたユニークな曲であるだけでなく、その奇妙奇天烈な題名もインド人の壺にはまった。英語の「Emotional(感情的)」の訛った形に、固い印象のあるサンスクリット語からの借用語「Attyachar(虐待)」をくっつけ、何とも言えない不協和音を生み出していたのである。この造語は映画音楽を越えて一人歩きし、「Emotional Atyachar」というタイトルのテレビ番組も登場した。そして今度は同名の映画まで作られることになった。テレビ番組と差別化するために「The Film: Emotional Atyachar」となっている。監督は新人のアクシャイ・シェーレー。キャストの顔ぶれはなかなか面白い。
題名:The Film: Emotional Atyachar
読み:ザ・フィルム:エモーショナル・アティヤーチャール
意味:映画:感情的虐待
邦題:エモーショナル虐待監督:アクシャイ・シェーレー(新人)
制作:ヴィジャイ・グッテー
音楽:マンゲーシュ・ダードケー、バッピー・ラーヒリー
歌詞:アミターブ・バッチャーチャーリヤ、ヴィラーグ・ミシュラー
出演:カールキー・ケクラン、ラヴィ・キシャン、ランヴィール・シャウリー、ヴィナイ・パータク、アビマンニュ・スィン、モーヒト・アフラーワト、アーナンド・ティワーリー、ナスィール・アブドゥッラー、スネーハル・ダービー、ラージクマール・カノージヤーなど
備考:サティヤム・ネルー・プレイスで鑑賞。
左上から時計回りに、アビマンニュ・スィン、ヴィナイ・パータク、
モーヒト・アフラーワト、カールキー・ケクラン、ラヴィ・キシャン、
ランヴィール・シャウリー
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