2002/09/14
1998/04/01
占いやってると、相性を見てくれという話がよくきます。
たしかに占いで相性を見ることは可能なんですが、占いをする側にとっての相性と、聞きたい側にとっての相性が食い違っていることがよくあります。
東洋系の占いで相性といえば、通常はAさんがBさんにとって吉の作用をもたらす人かどうかという話になるわけで、合婚法という開運法は正にこれを追求するものです。つまり配偶者という自分に最も身近な人間に、自分にとって吉の作用をもたらす人を配置することで、開運しようというわけです。
この場合、お互いに好意を抱きやすいかどうかは二の次、三の次となってしまいますから、どうみても好きになれないタイプが自分にとって吉をもたらす人であったりします。
おそらくは、占いの中身には無縁な人にとっての相性といえば、相手にとって自分は好意を抱きやすい人間なのかどうか?というところでしょうし、もっと具体的に誰々さんを好きになったが、相手はどう思ってくれているだろうか?というようなこともママあるように思います。
ところが、この二つは占いは占う側にとっては、まるで違う占いをすることになってしまうのです。
相手が自分に対して好意を抱きやすいかどうか、については、お互いの生年月日時を使う、子平や紫微で占いをすることになるでしょうが、誰々さんが今、自分をどう思っているだろう?恋としてうまく行くのだろうか?ということになると、これは個々の事象に対しての占いということになり、易とか六壬の出番ということになってしまいます。
占いをする側にとってやっかいなのは、もう相手を口説くことを決心しているのに、景気付けに占ってもらおうという人です。そういう場合、占っていい結果が出ればいいのですが、そうでないと怒ってしまいますから。
やると決めたことについては、占いでハズミをつけようなんて考える前に、全力を投入することです。うまく行かなかったら占いのせいにしようなんて、後ろ向きの発想じゃ、口説いても迫力がないと思いますね。
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1998/05/06 1999/05/02訂正
最近(といってもピークは過ぎましたかね?)風水という言葉が大流行ですが、私は風水と称して出版されている本の多くにはかなり違和感を持ってます。
風水は本来的には地勢の動きをあらわす山龍と水の流れをあらわす水龍、人・物の動きをあらわす道龍の3者から、地理の吉凶を判断する術です。
そして風水の術の中で最も重要なのは、龍の持つ気(と、とりあえずよびます)が吹き出す口である龍穴を見つけ出す技法であり、その龍穴に墓を作り、人を埋葬する日取り、手順を決める技法なわけです。
もっとも、この死者の住まいである「陰宅」を作るための術は火葬が一般的な日本では役に立ちません。
たしかに風水の技法には生者の住まいである「陽宅」の吉凶を見、それを改善するものもあって、それが重要でないとはいいませんが、それとて、自分を包み込む静的な空間の吉凶を論じるのが風水であるわけです。
だから相当の違和感はありますが、気学家相を風水と称することは何とか許容しますが、気学家相で九星的概念を使うからといって、九星による旅行の方位の吉凶判断を風水とよぶことは、論外というものです。
旅行・転居は自らが移動する動であって静の風水とは全く異なるものなわけです。
この動の方位の吉凶を論じる術には方位術とでもよぶべきものです。方位術と風水は区別しましょうよ。
ちゃんとした風水について知りたい方は黒門の中国占術の部屋とか震の堪輿研究室に行ってみて下さい。
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1998/05/21
生年月日(時)から、個人の特性や巡ってくる運勢を占う術を「命」の術と呼んでいます。
この命は天命なんかの命というところでしょうね。儒学の祖の孔子は、
吾十有五而志于學。
三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而順耳。
七十而從心所欲、不踰矩。
私は15歳で学問の道を志した。
30歳で自立を果たし、40歳で惑うことがなくなり、50歳で天命を知った。60歳になると、何を聞いても気分を害することがなくなった。
70歳になって、心の趣くままに行動しても規範を踏み外すことがなくなった。
と自分の人生について語っていますが、かの孔子でさえ自分の天命を知るのに50年かかっているわけです。(学問を志した15を引いても35年かかっています。)
命の占いは、この50年をショートカットするためにあるわけです。
で、まあ「占いで性格が当たった、大したもんだ。」とかいう話をよく聞きますが、性格なんてアテズッポでいっても結構当たってしまうものです。
客が「いやそんなことはない。」といっても、自信を持って、「いや、アナタが気付いていないだけだ。」とでもいっておけば良いのですから。
だから、性格なんてどんなヘボでも無理矢理当てることができるのです。
命の占いはやっぱり、過去の運勢をちゃんと説明できることができて一人前でしょうね。
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1998/08/07
北斗の拳というマンガが昔、少年ジャンプに連載されていた。このマンガは途中からあらわになってきたが、かなり占いや呪術の知識が盛り込んである作品であった。現在、文庫本で再刊されているので読み返すときには、こんな話もあるということで参考にはなるだろう。
マンガは北斗神拳は暗殺拳という設定で始まっていたが、実はここにも呪術の知識が仕込まれている。元々、北斗七星の柄の部分の3星は死の使いとされていて、この3星を供養することで寿命を延ばそうとする"星供養"があったのだが、時代が下がると北斗七星全体が死の使いとされるようになる。北斗神拳が暗殺拳であるのは、このあたりを踏まえているのだろう。
マンガに占いの知識が仕込まれているのがはっきりしたのは、南斗を助ける五車の星が出現したところであった。南斗も五車も西川算命の用語だそうで(このあたりの知識は我が畏友、大石真行による)四柱推命の用語におきなおすと、食神(南斗)を劫財(五車)が生じるということになる。
また天帝の近衛である元斗皇拳の伝承者が紫のオーラをまとうということになっているが、これは天帝である北極星(異論のある向きもおられるであろうが)のあるあたりは紫微垣と呼ばれていることに対応していると考えられる。
この紫微垣という名前を引き継ぐ"紫微斗数"という名前の術もある。この紫微斗数は生時がわからないと占えないという特徴(欠陥といいいたければいえばよいだろう。しかし、私は生時不明で三柱で四柱推命をやるというのも無茶だと思う。)があり、計算が少し面倒であるが、計算が終われば素人でもそれなりの占いのできる優れた術である。
なお、これは占いそのものとは無関係であるが、北斗神拳の創始伝説と中国渡りの占いの門派が自称する自派の創始伝説は、構造が似ていることを指摘しておこう。
中国渡りの占いの門派というのは、張明澄(耀文)師が日本に伝えた透派のことであるが、この門派の創始者は女性ということになっていて、創始者の女性は門派の秘伝書を残して自殺しており、その秘伝書を受け継いだのは創始者の女性の妹夫婦の子供ということになっている。なお妹は幼いときに誘拐されて、実の父を仇と信じ込まされて姉である透派創始者と戦って破れたが、姉の婚約者を籠絡したという過去を持っている。
つまり透派創始伝説は、姉妹の対立−姉の慈悲−妹の子供への伝承、という構造を持っているのだが、北斗神拳の創始伝説においては、姉妹それぞれの子供への試し−妹の裏工作−姉の許し−妹の子供への伝承という形で話が展開されており、構造的によく似ていると考えられる。
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