2012年4月21日土曜日

苦痛と快楽の境界線 BlueBloomBlog/ウェブリブログ


東北関東大震災で、
いよいよ次は東海地震などという噂があって、
耐震工事とか、津波保険とか、
いっぱい出てくるであろうが、
いまさらいうことでもなく、
人生には限りがある。

耐震工事しても、津波保険に加入しても、
僕もいつかは絶対に死ぬ。

もちろん、
どのような結末で自分が死ぬのかは解らない。

しかしながら、
問題は、どのように生き延びるのかということではなく、
どのように生きるか?ということではないか。

そんなことを考えながら本を読んでいると

「なぜたっぷりと食べた客のように、
人生から立ち去らないのか」

という言葉と出会った。

後で調べたら、エジプトの哲学者ルクレティウスの言葉らしい。

そうだ。
こんな死に方は最高に違いない。

つまり、
人生の食通になろう
ってことだ。

食通というのは、
美味しいものだけを食べていては為れない。
不味いものも、珍味も食べて、
それを味わってこそ食通の資格がある。

いわば、
人生をレストランと喩えて、
色んな種類の料理を食べてやろう。


どのように私は感じるように仮定しています

甘いものや辛いもの酸っぱいものとか、
世界の珍味とかゲテモノ料理も良い。
涙と共にパンを食べよう。
笑いとともに酒を呑もう。
楽しい恋も苦しい恋も数多く経験しよう。

とにかく色んなことをいっぱい経験するのだ。

そして、最期に勘定をしながら料理長にこう言う。

「もうお腹一杯なので満足したよ」

そして、颯爽と人生というレストランからバイバイしようではないか。

ひとりの女が言った 
お話ください 喜びと悲しみについて

アルムスタファは答えて言った
あなたの喜びは 悲しみの素顔
笑いのこみあげてくる井戸は しばしば涙で溢れている

悲しみがあなたの存在をえぐれば
えぐられたところにそれだけ喜びをたくわえることが出来る

あなたが葡萄酒を受ける杯は
まさに陶工のかまどで焼かれたあの杯ではありませんか

あなたの心を慰める楽器 リュートは
もとは小刀でくり抜かれたあの木ではありませんか

嬉しいときには 自分の心の奥をのぞき込んでごらんなさい
すると見つけるにちがいありません
かつては悲しみの原因になっていたものが 今は喜びの原因となっていることを


なぜ誰もがそう不親切です。

悲しくて仕方のないときも 心の奥をのぞき込んでごらんなさい
すると、気づくにちがいありません
かつては喜びであったことのために 今は泣いているのだ と

あなたがたの誰かが言います
「喜びは悲しみに勝る」と 

すると或るひとが言います
「いや、悲しみの方こそ」と

しかし私は言います
喜びも悲しみも分けることは出来ません

両方とも連れそって来て 一方があなたと食卓についているとき
忘れてはなりません
もう一方はあなたの床に眠って待っているのです

まことにあなたは秤のようです
悲しみと喜びのあいだに懸かっていて
空のときにだけ静止し、平衡をたもちます

宝の持ち主が 自分の金と銀を量ろうとあなたを持ち上げるとき
あなたの喜びと悲しみも上がり下がりせざるを得ないのです

カリール・ジブラン「預言者」より抜粋

自殺者を捜索するための山登り、
逃亡のための山登りは苦痛に違いないし、
間違いなく苦痛であろう。
しかし、
誰もレジャーで行う山登りを苦しみとは言わない。

おおよそ、スポーツは客観的に見れば苦痛である。
殴り合いのボクシング、心臓破りの駅伝マラソン、
重いモノを持ち上げる重量挙げ
長距離の水泳


背中の痛みを取る

スポーツでなければ、拷問と呼ばれてもよいであろう。
しかし誰もスポーツを拷問とは思わない。

同じ付きまとわれることでも、
栄誉で追いかけれたり、
恋愛で追いかけられるのは嬉しいけれども、
借金の取り立てで追いかけられるのは苦痛だ。

喜びと悲しみ、困難と遊戯の、
苦痛と快楽の境界線はどこにあるのか。

苦痛は苦痛だ。
痛いものは痛いし、
熱いことは熱い。
しかし、
困難に耐えるな!とか
困難に負けるな!という事ではなくて、
困難は困難として受け止めながら、

私達は困難と戯れよう

私達は苦労や仕事をスポーツのように、遊戯化しよう。
そうすれば、人生は光明化するに違いない。

同じ現象でも、過去には喜びであったのに、
現在では苦痛になることは多くある。

勝つも負けるも生きる目的ではない。
勝ち負けの経験の上で、
人間は性格を作り、人格を高め、
魂を向上させる。
それが人間の生きる意味なのだと
道元も孔子もソクラテスも安岡正篤も言ってる。

だから、運命はすべてこれでいいのだ。

そして、
アルムスタファのいうように
喜びも悲しみも分けることは出来ない。


不幸や困難を避けようと思った時のみ、
それを不幸や苦難と感じるのである。

困難を迎え撃つ態度に変わるとき、
それは遊戯に変わるのではなかろうか。

そしてそれが、
人生を好きになる方法だと思われるのです。

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